まずは,私が国際標準化に関わった過去の経験を紹介することから始めたい.1996年にISO 14001が最初に制定されたとき,私は某大手電機メーカーの製造工場で課長職をしていた.その時の同僚はいまその企業の会長兼CEOをしている.それほどの昔の話である.私は,研究所から出向したばかりであり,まだ自分の顧客というものがいなかった.自分および部下の給料を捻出する資金源を毎週末には探さなければならず,最初は隣の席の課長さん達から彼らの仕事の下請けをさせてもらっていた.そのような状況で,1つの定職として手に入れたのが「工場内の環境管理担当」という職務であった.間接部門であり稼ぐ部門ではない.いわゆる傍流であるが,幸いなことにその企業はISO 14001の前身ともいえるBSI 7750(英国規格としての環境マネジメント規格)のころから先端的な工場が認証取得の準備をするほど前向きであったことから,私の工場もISO 14001の認証を日本の中ではいち早く取得したのである.その時の経験が新事業立ち上げのきっかけとなった.
ある日のこと,営業チームが大手製薬会社からISO 14001の認証取得を支援するコンサルティングの仕事を取ってきた.他の課長さんたちは既存の顧客対応に追われていたので,必然的に私のところにその仕事が回ってきた.私のチームはその製薬会社に1年ほど通い,社内の環境マネジメント体制や業務プロセスの構築,手順書(いわゆる環境マニュアル)の作成,教育,内部監査,そして認証取得までを支援した.
その時に,私は環境マネジメントのDX化を思いつき,インターネットを使ったサブスクリプションサービスを組み合わせて販売するビジネスモデルを開発した.当時環境管理部門はおよそデータベースなどとは遠い世界で,全て帳票で業務を行っていたのに対して,経理部門はほとんどが電子化されており,同じ「経営(マネジメント)」でもこれほどやり方が違うものかと感じていたからである.結果的にこの環境マネジメントのコンサルティングとサブスクリプションサービスの組み合わせは,日本初の商品となり,その後も多くの企業から契約をいただき,いまでも収益のあるビジネスモデルとして受け継がれている.ちなみに,その後の私は,自分で立ち上げた部署の部長職を引退後,本社の環境本部に異動し,そこで全社的な環境への取り組みをサポートする立場を経験し,知的財産本部と研究開発本部にて国際標準化の支援と社内起業家向けコンサルティング部門の指揮者というキャリアを積んで引退した.最後の成果はNEXCHAINというコンソーシアム*1を設立したことである.いまでもその理事長をしている.このコンソーシアムの話も本連載の主題と関連が深いので,機会があれば紹介したい.
*1 NEXCHAIN ウェブページ https://www.nexchain.or.jp/#1
私はISO 14001のコンサルタントをきっかけに,いかに国際標準というものが儲けのネタになるかを実感した.ISO 14001がなかったら,環境マネジメントに関連する大きな市場は存在しなかっただろう.しかし,しょせんISO 14001は他人が作った規格である.偶然自分の新事業の役に立ったに過ぎない.そこで,反対の発想はできないだろうかと思った.何か新事業のアイデアがあるならば,市場におけるその事業の需要を必然的に喚起する国際標準を作れないものかと.これは営業に行くよりも,広告を打つよりもはるかに効率の良い顧客獲得手段であるとともに,他社も含めて新しい事業機会を創出することになる.
ここから私の国際標準の世界へのデビューが始まる.TC 207専門委員会の日本エキスパートになり,国際会議に初めて参加した.その後,2015年版のISO 14001改訂作業にも加わった.また,ISOと双璧をなす電気電子分野の国際標準化団体であるIECに環境規格専門委員会(TC 111)ができた2005年,初めて作業部会(WG)の国際主査(コンビナーと呼ぶ)を担当し,2009年からはTC 111の国際議長を任期いっぱいの9年務めた.その間,念願だったISO TC 207とIEC TC 111の合同作業部会を設立して主査を兼務し,両委員会間では初のダブルロゴスタンダードを世に出した(図1参照).
2012年からは,スマートシティーブームが始まっていた.その時に日本はかなり先端的な技術を擁していたが,スマートシティーの需要を喚起するまでには至っておらず,そのためにISO/TC 268(サステナブルシティー&コミュニティ)委員会およびその下のSC 1(スマートコミュニティ・インフラストラクチャ)分科委員会をフランスと共同で立ち上げ,私はSC 1の初代国際議長となり9年の任期を務めあげた.現在はTC 323(循環型経済)のWG2(実装)の国際主査をしているほか,ドローンや食品などさまざまな分野で国際活動の現場に身を置いている.そのすべてが,事業戦略から導かれた活動である.つまり,標準化それ自体を目的とせず,あくまで事業戦略の一環として捉えてきた.
さて,それではまず国際標準規格というものの類型を整理するところから始めたい.規格を策定する目的を規格の世界の言葉で表現すると,ハーモナイゼーション(Harmonization)とデセミネーション(Dissemination)に大別される(図2参照).
デセミネーションはいわゆるベストプラクティス(成功事例)を世界の各国で共有しよう,とりわけ先進国の経験を途上国と共有し,途上国が無駄な失敗を繰り返さないように成功事例を普及するという目的である.モノづくりの世界でいえば,このような強度で作っておけば間違いないとか,こういう試験をパスするならば安全に使用できるなどの技術基準でもあるし,技術報告という事例集のようなレポートもよくみられる国際規格の一形態である.
一方の,ハーモナイゼーションは各国が同じものを共有することが目的となる.より具体的には,まずインタオペラビリティ(互換性)がある.ねじの規格やコネクターの規格,乾電池の規格などは,それらを利用する製品の設計を容易にし,ユーザーの利便性も格段に高める(例えば,乾電池が各国で異なったサイズや電圧であったならば,海外旅行でどれだけ苦労するだろうか?).
ハーモナイゼーションには,もう1つオーソライゼーションという狙いがある.いわゆる「皆で渡れば怖くない」という考え方である.例えば,「グリーンウォッシュ」という言葉がある.これは「環境にやさしい会社」とか「環境にやさしい製品」とうたっておきながら,じつはサプライチェーンの川上で森林を破壊していたり,製品中に有害物質が入っていたりすることへの警鐘である.どの会社もウォッシュと言われないよう敏感になっているので,グリーンを主張する際には,何らかの拠り所を必要とする.そこで,このような条件を満たしていればグリーンといえますよという,国際合意に基づく規格が必要とされるのだ.ISO xxx番への適合性が第三者によって認証されているという事実があれば,安心してグリーンだと言えるというわけである.例えば,カーボンフットプリントという規格は「ある製品の素材製造から廃棄までのライフサイクル全行程における CO2排出量を合計したもの」と定義されるが,その数値を信用してもらうために,計算方法や透明性を確保する開示方法を規定した国際標準規格が使われる.ISOやIECで新規の規格開発を提案する際には,このような目的に合致することを明確化しなければならないのだが,これはあくまで表向きの世界である.次により本音に近い経営学的な視点で分類したい.
経営者の目線で見ると,どのように規格は見えるのだろうか,あるいは見るべきであろうか.表1をご覧いただきたい.
表1 経営学的な標準の類型
表1では3つのタイプに分けて各々の要求事項とその経営上の効果を分類してみた.要求事項というのは規格に含まれる条件と言ってよい.これを満たせば適合(合格),満たせなければ不適合(不合格)である.
さて,Type 1 は先に述べたようにハーモナイゼーションを目的としたものの1つ,互換性規格である.この規格が世の中に最もよく知られたタイプであり,標準規格とは全てこういうものだと思い込んでいる人も少なくない.要求事項は「共通仕様」である.電気通信インタフェースなどもこの典型だ.その仕様を守っている限り他の機器との接続性が確保できる.この規格は誰にでも自由に使えるようにすること(オープン化)が前提であり,特許を取得しているような仕様を標準化することはない.その経営上の効果は,一般の人々に広く利用してもらうことで,その仕様を活用した機器がたくさん市場に投入され,お互いに補い合ってユーザー価値を高めることができる点である.PCのUSB規格のおかげで多様な周辺機器が出現し,それらの製品のおかげでPCが売れるというケースや,共通仕様のおかげで多数のアプリケーションソフトが情報連携できるようになり,他社のソフトの出現により自社のソフトがつれ売りするようになるというケースもある.
Type 2 はこれも最近注目を集めている,「ものさし」の規格である.これは商品あるいは企業の優劣まで,様々な対象を評価する方法と最低限必要な水準などを定義するものである.企業ランキング,製品ランキングなどにも使える.例えば電気モーターのエネルギー効率の規格はIE 1からIE 4というグレードが定義され,各国の法律で定められる最低基準に引用されるなど絶大な影響を持つ.最近ではサービス品質のものさしを作る動きもある.もちろん測定方法の規格もこのタイプである.経営的なメリットは自社の製品を他社と差別化できることであるが,単に競合相手に対して優位に立つということではなく(このような意図の規格策定は,他社が反対するのでほぼ不可能である),ある市場が成長する時期に,安価で低品質の製品が出回って,顧客が市場から離れてしまうことを防ぐ目的においては特に有効である.
Type 3 はもっとも経営上の効果が高いが,同時にもっとも知られていない種類の規格である.特に日本はこの規格がやや苦手であると言えるだろう.なにしろ,2018年に工業標準化法が産業標準化法に改正されるつい最近までは,日本において公式な標準規格と認められていなかったくらいである.詳しくは次回以降に触れたいが,すべてのビジネスの基は社会課題の解決から始まる.しかし,社会課題を特定し,それを解決するための必須要件を明確化しないと何も始まらない.それをいち早く標準化することによって,新たな市場を作り出すことができる.古くはSDGsのゴール6の課題に該当する水道水の規格などがそれにあたるだろう.水道事業は巨大な産業である.すでに気候変動の課題は,省エネ,再エネ,電気自動車など大きな市場をつくっている.さらに現時点でホットなのは「資源循環」であり,既に昨年から専門委員会TC 323(循環型経済)が立ち上がっている.今後は「倫理」とか「人権」なども取り上げられていくだろう.
今回は標準規格がビジネスにどう役立つかを解説した.他者が作った規格を導入するという立場ではなく,自らが主役になり新しい規格を世に生み出すことで,どのようにビジネスに役立つかという視点を取り上げた.次回は,目指すべきビジネスがどうあるべきかという論点から出発し,その結果導かれる標準規格の活用方法を述べたい.